密度のない一日

今日は、虚無的で逃げな日だったような気がする
結局、逃げていたって物事が良くなっていくファクターなんて有り得ないんだ
自分の信念に反する何かを受け入れないのは、その何かに対して可能性を捨ててる時点でそれは「逃げ」であって、そんな事を継続していたって全体が良くなっていくことはとても難しいんだ
現実は自分の信念に関係なく、ただそれは存在しているのだ
どんなに信じたくなかろうが、ただそれはあるのだから、反省してそれを1つ1つ受け入れて行かなければ仕方あるまい
心が卑しいということは、なんて魅力のないことだろうか